今日の成田国際空港のニュースを見ていたら、2012年、夏のレジャーなどで日本を出国する人の数は190万を超えるそうです。
旅に飛行機は今ではごく普通の交通手段です。
最近は航空会社の種類も数も格段に増え、ソラシドエアーなんて(♪?)かわいいネーミングのものやら、鹿児島を発着する飛行機もいろいろでびっくりしてしまいます。旅に飛行機は今ではごく普通の交通手段です。
・・・というのは50年近く前の昔は、大ざっぱに日本航空は海外線・全日空は国内線、といったような空の棲み分けをしていたようなころで、そのころ大阪に住んでおりました私の幼少期、鹿児島の空を飛ぶのは確か全日空と東亜国内航空(のちの日本エアシステム→JALに統合)だけでした。
大阪の伊丹空港からは当時まだプロペラ機で時間はずっとかかったものの、機内のホスピタリティについては今よりもっと手の込んだものだった気がします。
非常時におけるご案内もCAのみなさん総動員で指先に至るまで美しく、AKB顔負けなほどみごとな振り付けでもって一生懸命展開されてつい見入ってしまうものでした。
それに記憶にまちがいがなければ、機内食にちらし寿司とかも出て、お急須でお茶のサービスをしていただいた気がしますし、かごにいっぱいのキャンディーを好きなだけとらせていただいたり、母と楽しく機内で過ごしている映像がわたしの脳裏に残っています。
それに記憶にまちがいがなければ、機内食にちらし寿司とかも出て、お急須でお茶のサービスをしていただいた気がしますし、かごにいっぱいのキャンディーを好きなだけとらせていただいたり、母と楽しく機内で過ごしている映像がわたしの脳裏に残っています。
そのころは鹿児島空港も今のような霧島の山のほうではなく、鴨池という鹿児島市の住宅街近くにありました。 空港のすぐそばに、そんなに大きくはないけれど動物園があって、叔母のクルマでヤシの木の植わった広い道路を走るとまもなく祖母の家に到着。
海をはさんで目の前にどっかり座って煙を吐いている雄大な桜島、そこに向かって駅からまっすぐに伸びる道路・ナポリ通りや、真っ青な空から降り注ぐ南国の明るい太陽の陽ざし・・・。
その力強さで鹿児島でこれから始まる休日の期待はどこまでも広がっていきました。
その力強さで鹿児島でこれから始まる休日の期待はどこまでも広がっていきました。
・・・と今回は昔の思い出話になってしまいましたが、まだまだ残る夏の日々、みんなどのように過ごしているのでしょう。
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